siro  多冶比猿掛城跡(たじひさるかけじょう)、比高186m
場所広島県安芸高田市吉田町多冶比
訪問日2006年8月23日(水)
備考弘元(元就の父)隠居の城、元就4歳から22年間過ごす


丹比西小学校横の案内板。

この案内板だけ本丸と物見丸を繋ぐ道が書いてある。
(下の2枚の地図には載ってない。)
多冶比猿掛城跡入口の案内板。

ここから更に車で登って行く。
第2駐車場横の案内板。
第2駐車場前には、毛利弘元(元就の父)の墓所が...
その墓石。
中央が毛利弘元の墓、その左が夫人の墓。
夫人は親元の福原城で亡くなったが、
大正10年にこの地に移葬。
その横には大木が...

ここから、
更に奥に行くと第3駐車場とその前に登山口がある。
そこまで2~3分なので、
第2駐車場に車を停めたまま歩いて行く。
(第2駐車場は終始日陰だったのでこれで正解。)
本丸目指して登山中、寺屋敷曲輪群。
本丸跡に到着。
その全景。
展望案内図。
しかし展望はこれくらい...

中央が郡山(3倍ズーム)
本丸北側にある土塁跡。
その上。
周りには矢竹が茂る。
本丸南側にある土塁跡。
そこから下の堀切を見下ろす。
かなりの急坂。
左の方から下に降りれそうだったので降りてみた。
堀切の底。
堀切の底から本丸の土塁を見上げる。

ここから物見丸に向けて道があったので、
とりあえず行ってみる。
途中に堀切。
物見丸近くにある削平地。
物見丸到着。
その全景。
展望は無し。

ここから弘元の墓に向けて下山出来るが、
道がはっきりしないので引き返す。
本丸からの下山途中。
木の階段の間に石段跡が見られる。
下山後、北に行くと出丸。
奥に土塁が見える。
土塁の上。
出丸跡、案内板。

当初はここが城(本丸)だった。
出丸から西方面。
出丸から本丸を望む。
物見丸方面。
北向かいの山の麓。
この上に蓮照山光明寺跡。
元就の室(法名妙玖)の創建との事。
その傍に杉の大方(元就の養母)の墓。

元就とは実の母以上の仲だった。
弘元の継室として毛利家に入ったが、
弘元の没後も元就の養母として毛利家に残った。
幼い元就の為とも、自身の保身の為とも言われる。
その墓石。
西から多冶比猿掛城全景。
中央が本丸跡、左奥の高所が物見丸、右下が出丸。
(まとめ・総評)
登山口から本丸までの比高は100m、物見丸までは152m。
登山口から寺屋敷曲輪群まではすぐ。その先は本丸まで急登が続く。
本丸から物見丸へ行くには、一旦急坂を下って堀切に降りなければならない。
最初に地図の事に触れた様に、この急坂のせいで、本丸~物見丸間の道は推奨されてない様。

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 参考資料: H・L・C「広島近郊の山城と史跡」