16年前に訪問した大坂城。
当時はまだ城跡にもさほど興味もなく、もちろん当サイトも開設してなかった。
以前から過去分のアップも考えていたが、
当時の写真をを元に、色々調べながら、今更ながら執筆してみた。(2018.2.2)
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この日は、仕事で大阪に行き、外堀の南側にあるNTTの建物で打ち合わせがあった。
打ち合わせが終わって16時、天守閣の開館時間には間に合わないが、とりあえず行ってみる事に...
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南外堀。
左に見えるは、六番櫓(現存)。
重要文化財です。
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大手門の外にある案内図。
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そして大手門をくぐるが、写真は無い。(^^;)
大手門も現存する遺構で、重要文化財に指定されてます。
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大手門をくぐって正面に、
大手口枡形の巨石。
写真の巨石は、
ここの枡形では最大の「大手見付石」だが、
城内全体では第4位。
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大門(多聞櫓)。
これも現存する遺構で、重要文化財。
大手門と大門の間は枡形になっています。
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上記から桜門に向かう途中、
石山本願寺推定地。
秀吉によって大坂城が建てられる以前、
この地にあったとか...
大坂城の辺りにあったのかも、と推定されるが、
大坂冬の陣や夏の陣、徳川による大改修等で、
石山本願寺の痕跡は分らなくなったとされる。
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桜門。
大阪城本丸の正門に当る。
明治の再建だが、重要文化財となっている。
秀吉時代、この近くに見事な桜並木が
あった事が名前の由来とか...
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桜門を入ると正面に蛸石(たこいし)。
こちらが城内第1位。
重量は推定130トンだとか...
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本丸広場(南側)より、天守を仰ぐ。
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ズーム!
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日本庭園なめの天守閣。
この庭園は、
維新後、紀州徳川家の御殿を
移築した際の名残だとか...
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天守を直下から見上げる。
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こちらは南西隅から...
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本丸北側の極楽橋を渡って振り返る。
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上記から東に移動して、青屋門。
当時、ここの焔硝蔵に落雷、大爆発が起き、
青屋門の扉が城から約14km離れた場所で
確認されたとの記録がある。
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別名、錦城、金城とも...
1583年(天正11年)~1598年(慶長3年)、秀吉による築城。
1620年(元和6年)~1629年(寛永6年)、大坂夏の陣で落城、豊臣氏滅後、徳川秀忠により大改修。
1665年(寛文5年)、落雷により天守を焼失、以後は天守を持たない城となる。
1868年(慶応3年)、王政復古の大号令後、二条城から前将軍徳川慶喜が大坂城に移る。
1868年(慶応4年)、鳥羽伏見の戦いの敗北で、慶喜は江戸へ、大坂城は新政府軍に。
1931年(昭和6年)、天守を復興。
2006年(平成18年)、日本100名城に選定。
(豊臣時代)
普請奉行に黒田孝高。
安土城を踏襲した、ふんだんに使われた石垣、権力の象徴とした豪華な天守閣など、
秀吉はここを天下統一の拠点としたかった様。
大坂冬の陣のおり、南方の防御の惰弱性を補う為に、真田丸が構築された。
(徳川時代)
普請奉行に藤堂高虎。
豊臣時代の石垣や堀を破却、盛り土をし、その上に新たに石垣、城郭等を築いた。
建物の構造なども踏襲されず、豊臣時代の大坂城とは別物と言っていいほどとなった。
諸藩には普請を課し、財政負担させる事により、軍事力低下を狙ったと言われる。
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